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:2011:05/14/07:02 ++ 麦畑
主体は稲作ですが、減反政策でビール麦を作っている田んぼも沢山有ります。キリンビールさんとの契約栽培だとか。麦が終わると大豆などを植えて、二毛作?をしている所が多いようです。
地元産を奨励するため、JA斐川と、役場の宴会は必ずキリンビールということになっていて、斐川の人の義理堅さが現れています。
私はビールであればどこのでもオッケイ!日本のビールはどこのも美味しい^^。
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:2011:05/08/08:30 ++ 従兄弟会
近くにいる分家の従兄弟もやってきて賑やかな一夜になり、時の過ぎるのを忘れて深夜まで話に花が咲き、
男三人の兄弟なのですが、嫁さんは誰の嫁も気さくで一緒になってお話会に参加していました。
旅館業は人様が休みの日には忙しく、仕事の日には暇な業種。なかなか一緒に出雲観光には出かけられないのが残念なのですが・・・。
次回は何年先なのか、また全員揃うかは分かりませんが、多分誰かがおじいさんになっているんでしょう。記憶の中の皆はまだ子供の格好で現れることが多いのですが^^。
:2011:04/27/08:42 ++ わらび
奥さんの里が安来の梨を栽培する農家で、梨園の下草を刈った後にこんな上等の太いワラビが芽を出すそうです。
ワラをもらい、駐車場で燃やし、その灰を集めて保管してあります。80度くらいまで沸かしたお湯にワラ灰を入れ、ワラビを入れて一晩置いておきます。するとアクが抜けるのでそれからだし汁に漬けて一日もすれば食べれます。
毎年ゴールデンウイーク前に奥出雲に行きワラビ取りをしていましたが、今年は行けずじまいでワラビの料理は無しと思ってましたがラッキーでした。
:2011:04/26/08:50 ++ 花の町斐川
何のための菜の花畑かは知りませんが、きれいだったので写真に撮りブログにアップ。この近くには出西窯、戦時中の滑走路などがあります。
この飛行場に山形から赴任、予科練で青年時代をこの地で過ごし、80歳を越えた今でも当時を懐かしみ、毎年のように当館に宿泊されるかたがいらっしゃいます。
若い頃の思い出探しや、亡くなった戦友の弔いやら、笑顔ではありますが秘めた思いを感じます。この飛行場を経由して、鹿児島の知覧特攻機地へ向かった飛行機もあったようです。命がけの時代だったんですね。
戦争で沢山の若者が死に、街は焼き尽くされ、原子爆弾の放射能を撒き散らされても、日本は目覚しい復興をしました。東北地方の震災の被害も甚大ですが、必ず早い時期に復興すると確信しています。